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ナポリタン

久しぶりの「ナポリタンの謎を追え」の更新。

検証と統括を兼ねた記事を載せなきゃ終われないなぁ~ なんて想いながら、隙間を埋めてくれるレシピが無くて、探しておりました。

チョイと忙しくて、久しぶりにお気に入りの柴田書店 編集部たより 料理本のソムリエを覗いたら。。。。
あれ?まぁ! しっかりと載っているぢゃないですか!(苦笑

2013年09月26日 料理本のソムリエ [vol.60]を御覧になって頂けると幸いなのですが。。。。
面倒臭がりやのために、たっぷりと引用させていただきましょうか。


2013年09月26日 料理本のソムリエ [vol.60]
「ナポリたん」ってお子ちゃまキャラだと思ってたのに。。。

>ナポリタン愛がこうじて、各地の特徴的なスパゲティナポリタンを訪ねたり、アメリカのハインツ社やケチャップの消費量の多いスウェーデンにまで足を伸ばしたルポ『ナポリタン!』は、『とことんおでん紀行』や『カレーライスと日本人』といった先人のスタイルにならった労作なのですが、歴史考証の中途半端さは否めません。ケチャップで作るナポリタンは横浜のニューグランドホテルの入江茂忠シェフがGHQの将校のために作ったのが始まりっていう説をとっていますが、これは100%ありえないでしょう。だってケチャップ味のスパゲティナポリタンって戦前からありましたもん。

 『婦人之友』の昭和12年12月号ではうどん料理の記事で、うどんを代用して作る「スパケテナポリタン」を紹介しています。麺がうどんだなんて安い学食みたいだけど、日中戦争が始まってなんでもかんでも代用で節約が推奨された時期だからね。フライパンで豚か仔牛の肉100gと脂50g、ニンニク3片を炒めて取り出し(これも肉は別の料理に使います)、さいのめに切ったトマト小2個を入れて炒め、トマトケチャップを加え(トマトがないときには少し多めに)、月桂樹の葉2,3枚を入れて、シェリー酒5、6滴を落とします。湯(煮出し汁があればなおよし)でのばして、塩コショウで味をつけてできあがり。これをゆでたうどんにかけて、粉チーズをふります。

 所詮うどんなのに材料にシェリー酒なんて使ってお洒落さんなのは、料理研究家の趣味なのか、標準レシピなのかよくわかりません。解説には「これはイタリーでよくする料理で、これさへあれば他のものはいらないといふ人のある程そんなに美味しいものです」とありまして、れっきとしたイタリア料理とうたっております。スパ「ケ」テなのにね。

 これってうどんで作る特殊な事例じゃないの?と疑う向きには次の資料を。童謡作家、有賀連の作品集『風と林檎』(1932)にある「マカロニ」という子供向けの詩です。

 マカロニナノダヨ、コノ皿ハ    フォークニマイテル、アノヒトモ
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ
 マカロニナノダヨ、ミテゴラン   トマトケチャップガカケテアル
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ
 マカロニナノダヨ、コノ皿ハ    タベルヨ、ボクハ、スキナンダ
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ
 マカロニナノダヨ、アノナベハ   マカロニナノダヨ、ヤハラカイ
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ

 ずっとマカロニマカロニ言い続けてますが、フォークに巻いているのでロングパスタでしょう。戦前の資料を見ていると、マカロニを正しく「管饂飩」っていう身も蓋もない説明をしているものもありますが、今の「パスタ」のように総称として使っていたりもします。一コマ漫画でマカロニって言ってるのに、明らかにロングパスタが描かれているのもありました。ちなみに戦前の加工食品に関するお堅い資料だと、スパゲティという単語より英語からきた「ヴァミセリ」のほうがよく使われていたりします。

 さてこれは、童謡として書かれた詩に出てくるっていうのがミソでして、子供がマカロニという食べものがどんなものか知っているのが大前提となっていることを示しています。いまヴァミセリの歌ってのを作っても、大人にだってぽかんとされちゃうでしょ? 昭和7年の段階でパスタにトマトケチャップをかけるのがさほど珍しくなかったという傍証です。ナポリタンはデパートの食堂の洋食の付け合せとして生まれたという説もありますが、ニューグランド誕生説よりはずっと傾聴に値します。

 そろそろみなさん戦後の発明っていうのは変だということに気づかれたようで、入江氏よりも前にニューグランド初代料理長のサリー・ワイルが発明した説ってのもありますが、彼はスイス人でれっきとしたフランス料理のシェフなのに、わざわざスパゲティだのケチャップを使う必然性ってのが感じられないんですよねえ。むしろワイルや入江シェフが、日本人の好きなナポリタンを、ホテルで提供できる域まで高めたっていうのなら合点がいきますが…。

 ナポリタンってケチャップで甘酢っぱいので、不良というより子供の好物。柔らかくて食べやすいしね。カレーと並んで子供に人気ですが、それじゃあそもそもミートソースでもグラタンでもいいけど、スパゲティやマカロニがいつどのような形で日本人の舌に受け入れられるようになったかというと、これがどうもよくわからない。やたらうんちくを垂れるカレーと違って、この件に関してはみんな頬かむり。実際、いつの間にか素知らぬ顔で洋食屋のメニューにまぎれ込んだ感じでして、これを調べるのはかなり大変そう。
<引用終わり。

参ちゃうよな、プロが書くと短い文章になんと説得力があること、私しゃ五年も書いているのに。。。。。。。
附録の料理集ではもう出てこないかと思いってはいたのですが、昭和12年より前に出てくるのではと推測をしていました。
正直残念ながら、とても嬉しいです。(笑

このレシピの大事な所は。。
1 「スパケテナポリタン」という名称が記述されてる。
2 とりあえず、ケチャップが使用されているところ。
3 いちど炒めた肉を取りだして、別の料理に使う事。
4 これはイタリーでよくする料理で。。。


これは大事な記載です。

このレシピが出ると、残念ながら「戦後横浜発祥」は現在名前が挙がっている店やホテルでは有り得ません。
でもね。。。。横浜もナポリタンの歴史のなかで大きな役割を果たしているんですよ。

そんな想いを込めて、大事な検証資料として今回も載せておきたいと思います。



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2014-06-22 : ナポリタンの“謎”を追え : コメント : 5 :

スパゲティーイタリアンとミートボール。

年明けから少々へたれていたけれど、もう五月なんだよね。そろそろ目を覚まさなくちゃ。(苦笑
本日は1984年発刊、本間千枝子さん著『アメリカの食卓』から少々気になる記述を載せておきます。

これは後に引用文献として利用したいと思う事、そして戦前日本の洋食文化がフランス、イギリス一辺倒とは限らないんぢゃないか?  って私の疑問の道しるべとして利用しようって算段ですわ。


この本の中には、私が知らないアメリカの食卓史が作者を通して語られています。
(興味がある方は以下稚拙な文を見るより、本書を読む事をお勧めいたします。)

>1533年、メディチ家のカテリーナがフランス王アンリ二世に嫁して、イタリアは料理文化の上からもルネッサンスの曙光をフランスに伝えることになった。  フランス食卓史発達の引き金になったのは、この時カテリーナについてイタリアからやってきた料理人たちと銀のフォークであるという。
 それから三百五十年以上を経て、イタリアから名も無き移民たちがアメリカに渡った。 彼らはヨーロッパの他の人々たちよりずっと遅れてやってきたのであった。だが年代を経るごとに彼らは各地に散り、その地に根をおろいてそれまでアングロアメリカ一辺倒に近かったアメリカの食卓に変革をもたらした。
 素材も料理も家庭の食卓も、今日のアメリカはイタリアを語らずして語れない。

アハハ。。。これだけ読んでも何の事ちゃ?だよね、このお話は前半は、
1533年当時 まだまだ粗野であったフランス、その後のフランス料理の原型をもたらしたのはイタリアなんだよ!と言うお話。(笑
ここで、“リヨン料理”なんかで検索すると楽しめそうよ♪

後半は、アメリカへの後期移民であるイタリア人がアメリカの食卓に大きな変革をあたえたって事。
(移民の歴史は1880年代から始まり、そのピークは1900年って事は押さえておきたいな。)


ここで私が先々引用に使いたいと思っているのは、「スパゲティーイタリアン」「スパゲティーミートボール」の話です。
大事なレシピをこの本から引用しておきましょう。

「聖ジェンナロさまの日の屋台」
>近頃では自分の怠慢を反省しつつ、カントリー・ソーセージのように、肉をただ丸めて焼いているので、子供たちはただのミートボールだと思っているようです。 とにかく、前菜にしても、野菜と炒めても、オリーヴ油で焼いてサラダに入れても、ミネストロネの中に刻んで入れても、便利で風味が濃いところが、庶民の食べ物だと思います。
 私のいいかげんなイタリアン・ソーセージは次のようにして作ります。 肉は豚の赤身二、脂身一の割合(子牛の肉のある時は全部一の割合)でそろえ、よく切れる包丁で細かく刻みます。これを手で回す昔ながらの挽肉機に一度かけ、刻みパセリ、黒胡椒、みじん切りのにんにく、タバスコ、唐がらしの細かくしたもの、タイム、ベイリーフをもんで粉にしたもの、オレガノそしてできれば青いベーシルをパセリより大量に刻んでいれ、マルサラが手元にあればほんの大匙一杯ふりかけ、木のへらでよくよく全体を混ぜ合わせます。 容器にぴっちり蓋をして一、二時間以上冷蔵庫においてから丸めて焼きます。
 イタリア系の人たちはコーンミールをご飯のように炊き、その上に、このソーセージとマッシュルームをオリヴ油で炒め、トマトソースで煮たものをかけ、上から粉チーズを振って食べるのですが、このコーンミール、イタリアン・スタイルをポレンタと呼びます。

以上

ああ疲れたぁ~ (笑

さてさて、今回よくよく考えなくちゃいけないのは。。。。
このカントリー・ソーセージを使ってスパゲティを作ったら?ミートボール?イタリアン?ナポリタン?
さて、貴方はどれだと思いますか?(笑


本日は参考写真は無し、誤字脱字はお許しください。
明日も仕事だよ~  早く寝よっと!



2014-04-27 : ナポリタンの“謎”を追え : コメント : 10 :

ご報告。

本日、ウィキペディアでのナポリタン記述が少し変わった事を確認致しました。
「ナポリタン」を是非一読をお願い致したいとおもいます。

ひとつの目標がかなった事を皆様にお知らせいたし、
ながき月日にわたり、つまんない記事にお付き合いして頂いた事に心から感謝をしたいと思います。 
ありがと~~ぉ! 

っても私が書いたわけぢゃないし。。。。。
まぁ これで諸説に戻り、洋食史の議論などが楽しくできそうな気がします。(笑

これから記載が少しずつ変わっていくと思われます。
“ノート”という所を見て頂くと、少しウィキペディアのあり方が理解出来るかもしれません。

とりあえず皆様方に ご報告をしたい一心の短い記事でありました。m(_ _)m


2013-08-01 : ナポリタンの“謎”を追え : コメント : 13 :

復刻 「ホワイト・ナポリタン」

明治20年、新橋にあった洋食店「東洋軒」のコックがイタリアから持ち帰ったのがその始まりと言われるパスタ。
この頃は日本郵船は未だ欧州航路を開設していないのですが、とうぜんながら外国籍の船で人々は行き来していたんだよね。
ナポリは重要な港街であったようです
本場ナポリからコックが直で持ち帰ったパスタなら、当然ながら調理法もリサーチしてきてると思うンだよね。
当時のスパゲティにロッソとビアンコ、赤と白があっても不思議じゃない。

ナポリ風スパゲティ・ビアンコなのであろう、「ホワイト・ナポリタン」って響きが・・・・妙に美味しそうに響いて聞こえてくるのは私だけでしょうか?
洋食としての「ホワイト・ナポリタン」を作ってみようと思い立ったのは、私的には当然の成り行き。(笑





ムフフフッ・・・・・・・・・・・ 美味い! 

港街ナポリなら新鮮な魚貝を使用できると思い、アルゼンチン産有頭海老と浅蜊からスープをとってみたよ。
スパゲティは古式に倣い、茹で上げてからバターで炒めて使用。当然ながらホワイトといいながら、濃厚な味に仕上がりました。
此奴にドライトマトを入れたら、一層美味しいナポリタンが出来そうです。

遙か欧州航路に思いを馳ながら味わう、少々贅沢な「ホワイト・ナポリタン」は辛口の白ワインが似合います。
嗚呼~  ラッコが居ない留守番ナイト、良き独りご飯となりました。(笑





今日の「ホワイト・ナポリタン」のレシピ。(孤独な一人前)

スパゲティはバリ硬に茹でて、さっと水で洗ってからバターで炒めて放置しておきます。

有頭のアルゼンチン海老三匹から、頭と殻を取りワタを外して二等分にします。
オリーブオイルで大蒜の微塵切りを炒め、外した頭を軽く潰し殻と共に軽く炒めます。
香りが立ってきたら、殻付きの浅蜊&帆立、海老身を入れて炒め、たっぷり目の白ワインを入れて蓋をして蒸します。

浅蜊の口が開いたら、笊で濾してスープと具材を分けます。
この時に、浅蜊から身を外し、帆立と海老身と別に確保。 海老の頭と殻は棄てちゃいます。

玉葱のスライスをオリーブオイルで炒めスパゲティを入れ、さらにスープを入れて煮詰めていきます。(この時間を稼ぐために、くれぐれもスパゲティの茹で加減はバリ堅にしてね。)
塩胡椒で味を調えて、適当な所で具を入れてチョイと炒めて完成。


スパゲティにスープの旨味が吸収されていて極々旨し!


2013-07-20 : ナポリタンの“謎”を追え : コメント : 9 :

ナポリタンの歴史。完結編

“謎”を探して未開の土地を歩きたどり着いたナポリタン遺跡。

はやる気持ちを抑えながら扉を開いてみると、其処には“トマトケチャップ缶”が転がっていた・・・
既に謎の扉は他の“冒険者”により開かれていたのです。(笑


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謎の扉は1996年3月に雑誌『DANCYU』のなか、大石勝太氏により大きく開かれておりました。
その後2006年上野玲氏『ナポリタン』により扉を再び閉められてしまい暗闇に閉じ込められてしまったのが、私の4年にわたる“謎探し旅”に繋がったのかもしれません。

私の謎探し旅行記もそろそろ総集編を書かねばならないと用意をしておりましたが、先人の“冒険記”の前で披露するのは少々恥ずかしくもあり 前出『DANCYU』から大石氏の記事を引用をさせていただくことにいたしました。
全文引用は問題があるかと思い、一部。。否“ほとんど引用”という姑息な手段をもちいる事をお許し下さい。

引用中にアンダーラインを引き、関連資料としてリンクをはりました。
※印は未だネット上に載せていない資料を 同じく補足資料として本文下にのせておきます。
(補足など必要ない完成された文章なのですが。。。少しは自己アピールしたい事情を察してくだされ。苦笑。)

それでは、先ずは大石氏の“冒険記”をお楽しみください。




>以下『DANCYU 1996年3月号』から一部ほとんど引用


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隠れナポリタンフリークに捧げる
口を真っ赤にして食べた「ナポリタン」をめぐる大冒険
文・大石勝太  撮影・佐藤直也

子供の頃はスパゲティといえばナポリタンとミートソースくらいしかなかった。 特にナポリタンは今でもよく見かけるのになぜか妙に懐かしい感じがする。トマトケチャップでオレンジ色に染まったナポリタンがパスタとの出会いだった、というのは僕だけではないはずだ。

「ときどき喫茶店のケチャップたっぷりナポレタンが無性に食べたくなる。粉チーズとタバスコをいっぱいふりかけてね」 と白状した友人もいる。 隠れナポリタン・フリークは多いのだ。

中略

IMG_9531.jpg


日本におけるパスタの歴史はマカロニから始まった。明治20年、新橋にあった洋食店「東洋軒」のコックがイタリアから持ち帰ったのがその始まり、というのが定説になっている。 当時の料理書を見ると「饂飩またはマカロニを用い・・」 などとあるから、西洋ウドンとして扱っていたそうだ。

それでも、フランスやイタリアで修行した料理人などによって、本場の調理法も多少は日本に伝えられている。 当時の料理本にはトマトソースが登場しているし、明治28年創業の洋食の老舗 銀座「煉瓦亭」ではトマトソースとチーズを使った「マカロニ・イタリアン」というメニューが明治時代からあったという。

このような下地があったから、明治の終わりから大正にかけて登場したスパゲティも、「素麺またはスパケットを用い・・・」という代物ではあったにせよ、ごく自然にトマトソースと組み合わされたはずだ。

ところで、国産のトマトピューレが出来たのが明治36年、国産トマトケチャップは明治41年に登場している。で、当時はトマトピューレのことを「トマトソース」と呼んでいたらしい。ということは、故意か勘違いかはともかく、本来はトマトソースを用いるはずのイタリア伝来スパゲティを、トマトピューレでつくる料理人がいたとしても不思議はない。 さらに甘みがあってなじみやすいトマトケチャップを使うようになったのは時間の問題だろう。

たとえば、関東大震災のころからナポリタンを始めた「煉瓦亭」では、当時からトマトピューレやトマトペーストにケチャップを加えて作っていたという(戦前までイタリアンと呼んでいた) 昭和6年創業の日本橋「たいめいけん」でも最初はトマトピューレを使っていたが、後にケチャップを使うようになった。

しかも、「たいめいけん」では、スパゲティをケチャップで炒めるのではなく、まずケチャップを煮詰めてからスパゲティを入れる。 ご主人の茂出木雅章さんによると、「トマトピューレの酸味を取るために具と一緒に煮詰めるスタイルの名残」ということだが、ソースにパスタをからめる本来のトマトソース・スパゲティの名残でもあるのではないだろうか。

この「トマトソース変移説」に対してという異説もある。 トマトピューレやケチャップで炒めたチキンライスのほうが古くからあったから、「チキンライス応用説」、ご飯の代わりにマカロニやスパゲティを使った、というのだ。 そういえば「たいめいけん」のナポリタンは今でこそ海老や蟹もあるが、当初はチキンだけだったという。(※1)

いずれにしても、西洋文化をうまく取り込んだことには違いない。
 ただ「ニポリターノ」「イタリアン」などさまざまな名で呼ばれたように、その内容も多種多様であった「東洋軒」「精養軒」「中央亭」といった老舗の洋食店や横浜のホテル、あるいは外国航路の船のコックなどが、それぞれ自分の知識や流儀でナポリタンを解釈し、その名と味のバリエーションを広げたらしい。

たとえば、かつての「東洋軒」を知る自由が丘「キッチン・カントリー」の斎藤義正さんによると、「ナポリは海の町だからナポリタンに海老など海のものをたっぷり入れ、ミラネーゼには肉など里のものを入れる。ただ、どちらにもトマトソースがたっぷり入ったミートソースを使った」という。この店のナポリタンは、今でも海老入りミートソース和えだ。
 また、昭和初期の頃はまだトマトの味になじめない人も多かったらしい。「創業時からトマトペーストでナポリタンを作っていたが、トマトの酸味が苦手な人向けにトマト抜きの『ホワイト・ナポリタン』も用意していた。と昭和6年創業の赤坂「からす亭」ご主人の中島清隆さん。今でもホワイト・ナポリタンを注文する年配の客もいるとか。このような白いスパゲティを「イタリアン」と呼ぶ店も多かったようだ。

さらに、シーフードが基本のはずのナポリタンにハムなど里のものが入ったスパゲティも登場する。 その名も「コスモポリタン」(国際人の意)。 ナポリからイタリア、はたまた地球規模へとだんだん話が大きくなっていくところはまさにイタリア的!?

このように古くからあったナポリタンだが、「昔はマカロニのほうが人気があったし、ナポリタンが人気メニューとして定着したのは戦後、特に東京オリンピックの頃からでしょう」 とは「煉瓦亭」三代目のご主人、木田明利さん。 進駐軍がもたらしたケチャップによってナポリタンが広まり、さらに高度成長とともに一気に人気メニューとなった。その一翼を担ったのが、ペコちゃんの「不二家」であり、今はなき「オリンピック」などの大衆的レストランであった。

たとえば、「不二家」では昭和30年代に「スパゲティ・ウィンナー・ナポリタン」というメニューがあった。 ドミグラスソースとケチャップで炒めたスパゲティにウィンナーをのせ、粉チーズをふってオーブンで焼く。
ビーフシチューが250円だった時代に200円もした高級メニューだが、軽食では最も人気があったという。

中略

甘酸っぱいケチャップで炒めたゴロゴロした太いスパゲティに、粉チーズをたっぷりふって、口の周りを真っ赤にして頬張る。 アーリオ・オーーリオもいいけれど、たまにはナポリタンも食べたいでしょ。ね、隠れナポリタン・フリークのあなた。


以上、引用一部ほとんど引用終わり。<


大石氏の冒険記は如何でしたか?
私は多くの謎が解けて、「サッパリしたなぁ~」と叫びたくなりました。

アメリカの影響&加工肉の事があまり説かれていないのが少々寂しくもありますが、大満足の結果です。
なによりも、ナポリタンの歴史が戦前にまで押し上げられた事で多くの店、料理人の歴史が蘇ってくる事が大事なのですよ。
大石氏が開いてくれた扉の向こう側に、様々な歴史認識を楽しめる道が開けています。








※1
この“チキンナポリタン”は昭和8年に発行された『婦人倶楽部九月号附録 誰にでも簡単に出来る 家庭西洋料理全集』のなかに、当時「精養軒」司厨長であった松村源治氏によって似たレシピが載せられている。

>マカロニー・チキン

マカロニー(麦わらのやうに管になってるうどん)と鶏肉のトマトソース煮で、美味しくて栄養価も多いものです。お総菜には勿論来客にも結構です。
中略
うどんを代用するときは、やはり茹ですぎないやう、幾分固め加減に茹でて用います。
<以上


2013-07-10 : ナポリタンの“謎”を追え : コメント : 13 :
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プロフィール

いその爺

Author:いその爺
横浜在住
五十路で早くも爺さんになちゃった。
“食”“写真”“郷土”が好きです。

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