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ラーメンの歴史に新しいページを増やして欲しい。

広東麺麵を探しているうちにラーメンの歴史やら発祥に踏み込んでしまいました。

明治時代になると居留地で食べられていたトンコツ塩味の”ラウメン”が、明治43年に浅草に横浜中華街から招いた中国人料理人を雇って日本人向けの中華料理店「来々軒」により醤油味と変化したのが東京ラーメンの元祖である。

ラーメンを語れる程の経験を持ち合わせていないので此辺りは軽く流そうと検索しただけなのですが。。
どこもかしこも上記の事柄がコピペされて拡散されている?って印象でした。
参考文献とか書かれていないところがほとんどかな。。。
もとになっている書籍はなんだろう? なんて気になり探してみると。。。
どうも2002年発刊『ラーメンの誕生』岡田晢著 辺りがもと文献のような気がします。
お願いだから。。。文献提示して下さいよ〜笑

さて、その『ラーメンの誕生』を読んでみますと。。。
横浜中華街(居留地)に明治(30年?と読めてしまうのですが、それはないなぁ)「柳麵麺」の屋台ができそこで食されていたのは、

>包丁で切る柳麵麺、トンコツの澄んだスープ、トッピングなしのシンプルさ。
これが、広東料理の故郷の味を思い出させる、彼らのラオミエンであった。

って書いてあるのよ。。。マジ? トンコツ&塩味なの?   私しゃ凄んごく意外でした。(笑

さて、どんな文献を参考にしているかって事になると。。。
獅子文六さんや長谷川伸さんのお話をあげられていますが、そこにはスープの味やら包丁で切った柳麵麺には言及されていないと思えます。
(”匂いにムッとした”豚蕎麦”、って記載はありますがそこだけでスープが豚肉や豚脂、ましてや塩味って確定するのはどうなのだろう?)
さて本の中ではそんな居留地の”塩味トンコツ麵”がサラッと流され、浅草「来々軒」で醤油味に進化すろところで醤油味の東京ラーメンの誕生って事になっていくのですが。

醤油スープは来々軒が元祖なの?
ラーメンの元祖問題にあまり踏み込むつもりはないのですが、横浜居留地内での麵料理に興味があるのですよ。
どんな文献から”トンコツ塩味”やら”切り麺麵”が出てきたのか、そして居留地中華麺には本当に醤油は使われていなかったのか?   誰か教えて下さいませ。

因みに明治36年4月に刊行された『横濱繁盛記』のなかには、
>各色炒麵、くかしょくしゃめん>(やきそば)、銀絲細麺<ぎんしさいめん>(南京そば)、牛肉大麺<ぎゅうにくたいめん>(牛そうめん)の記載がでてきます。
なんだか すんなりと私は居留地ラウメン”塩味”オンリーを受け入れられないのよね。

そうそう! 岡田晢さんはトンカツ本もお書きなのですが、たしか”料理本のソムリエ”で異議申し立てされていたんはずだよな。。。とその辺り調べてみたら、
”はてなビックリマーク”でもかなり突っ込まれているようです。

”はてなビックリマーク”を読みましたか?トンカツだけではなくラーメンの事も少し書いてあったでしょ?(笑


『浅草経済学』 石角春之助 文人社 昭和8によると浅草では明治41年頃、千束町「中華楼」が浅草での元祖 だとしています。
これまでの支那料理店とは異なり、支那ソバ、ワンタン、シューマイを看板とするそば屋である、シューマイ一銭、ワンタン六銭、支那ソバ六銭と詳しく書かかれていますよね。
これが本当なら明治43年開業の来々軒より二年ばかり早い事になりますから歴史に1ページ増やしても良いんぢゃね?(笑

現在でも「中華楼」という同名の中華料理老舗店が存在しているようです、誰か検証してくれると嬉しいな。

今日は『ラーメンの誕生』の”横浜居留地南京ソバは塩味”説を信じ、長谷川伸『ある市井の徒」に書かれているラウメン描写を下敷きにして、

>ラウメンと新コがいうと首肯いて向うへ走り、イイコウラウメンと些か節をつけて発注してくれます。間もなくおやじは饅頭の皿と焼売とハーカーの皿とをおいてゆく ー中略ー 豚蕎麦のラウメンは五銭。 ー中略ー ラウメンは細く刻んだ豚肉を煮たのと薄く小さく長く切った筍が蕎麦の上にちょッぴり乗っている、これがたいした旨さのうえに蕎麦も汁もこの上なしです。<

爺風の豚出汁澄まし塩味の”新コ ラウメン”を作ってみました。


PB140002_20151203223940d4b.jpg



食べた感想は・・・・これぢゃ絶対に湯麺(タンメン)の元祖だよ!って言いたいわ!(笑

作家の池波正太郎さんは亡き師長谷川伸さんを忍び、先日載せました「徳記」を題材にこんな一文を書いています。

>さびれた裏通りの袋小路の奥にある徳記のラーメンのうまさは、横浜出身で、明治末期の支那飯屋のラーメンを懐かしがっていた亡師・長谷川伸に、ぜひ、食べさせたかった。亡師はラーメンといわずにラウメンといった。<

明治末期の支那飯屋を懐かしがっていた師の食べた”ラウメン”は。。。。ほんとうに塩味だったのだろうか?
どうも私はすっきりと”岡田説”飲み込めないんだよなぁ
何か良い書籍でもあったら教えてくださいませ。m(__)m

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2015-12-03 : 食本と昔レシピで味つけね : コメント : 13 : トラックバック : 0 :
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2015-12-04 08:45 : : 編集
岡田さん
この本には「来々軒」の経営者が横浜税関の出身だと書いてありましたね。
この辺も、誰か調べてほしいなぁ。。。
2015-12-04 08:47 : 酔華 URL : 編集
No title
来々軒ってこちらにも有りますよ、のれん分け?
それともただ付けただけかな
ラ-メンの元祖はこれは難しいよ、近頃はラ-メンも細分化・高級化して10円玉何個かで食べれた子供時代とは大違いですよ
2015-12-04 09:41 : EGUTI YOUSUKE URL : 編集
No title
今日は
文献だけでも凄いことですね。一気に全部は読めませんですが、面白いですね。
私にはとても手も足も出ない問題です。
2015-12-04 11:59 : 相子 URL : 編集
Re: 岡田さん
> 酔華さん

ありがとうございます! 訂正しておきました。f^_^;
もともと乱雑なもので確認不足なのですが、Mac導入以来多発しているんですよ。
今回も"麺"字がアップ後全て消えていて慌てました。
どうもMacとfc2相性が悪いようで、何か策を練らねばと思っています。

経営者、横浜関税に勤めていたと書かれていましたね。ここも何処から出てきたのか解りません。
横浜の資料って少ないからなのか多くの著者がサラッと流してしまう様な気がします。
そこのサラッの部分が知りたいのですが。。。。(笑
2015-12-04 12:02 : いその爺 URL : 編集
Re: No title
> EGUTI YOUSUKEさん

ラーメン元祖には恐くて踏み込めませんよ!
そもそも何をもって元祖とするか、そこから始めませんといけません。
絶対に無理!(笑

2015-12-04 12:57 : いその爺 URL : 編集
Re: No title
> 相子さま

文献凄いでしょ?(笑
東京は文人等が多くの沢山の文章や記録を残しています。
浅草の屋台なんか凄い面白いですよ♪

それに比べて横浜は少ないのですよね。
外人居留地は特別なところ。。みたいに流されてしまう事が多いのです。:(T-T):
2015-12-04 13:01 : いその爺 URL : 編集
ラーメン史
 おじゃまします。ご紹介いただいた「はてなビックリマーク」の摂津国人です。
       
 「来々軒東京ラーメン元祖説」は小菅桂子氏の「にっぽんラーメン物語 1987/9(後に文庫化)」がおおもとの文献だと思われます。「3代目」の方に詳しく取材をされています。
 ただ問題はたしかこの「3代目」の方が大正3年か4年の生まれなのはずですが、父親の2代目が昭和3年頃に亡くなり、本人が店を継いだのが昭和10年頃とされ、「中継ぎ」の(嫁の)母親などからしか店の歴史などについては教わっていない可能性が有るというところです、過去の情報が正確なのかどうかわかりません。初代は大正後期には亡くなっています。
   
 それと現在の浅草橋「中華楼」は創業年と経営者の名字と場所が異なり、分家かなにかで直接は関係ないのではと考えます。
     
 ご存知かもしれませんがラーメン史については「文化麺類学ことはじめ 」とその新装版「麺の文化史」が基礎で「日本めん食文化の一三〇〇年」「誰も知らない中国拉麺之路―日本ラーメンの源流を探る」が有り、「夜食の文化誌 ラーメン史を「夜」から読む──盛り場・出前・ チャルメラと戦前の東京」も参考になります。
 未読ですが「ラーメンの語られざる歴史」もでました。たしか「誰も知らない」は「ラーメン山東料理説」だったはずです。
      
 「横浜居留地内での麵料理」は何年か調べているのですが決め手は見つけられていません。華僑史なども調べているのですが横浜の華人で広東人が支配的になるのは最初からでもないようです。
 大阪川口居留地では山東料理が基本だったようです。札幌の(ラーメンの元祖の一つとされる)竹屋食堂も山東系のようです。
 現在日本最古参とされるラーメン店、兵庫県尼崎の「大貫」は大正元年創業だという事ですが醤油味のラーメンです。創業当時からとされます。
2015-12-05 13:16 : 摂津国人 URL : 編集
Re: ラーメン史
> 摂津国人さん

ありがとうございます。
こんな僻地blogにお出で下さるとは想いもせず驚いています。
そして無断でリンクをはり申し訳ありませんでした。m(__)m

「誰も知らない」は山東料理人説をとっていましたね。
中華街の料理人は山東出身者が多かった話しも聞いた事があるので、なるほどと読んでいました。
それなら居留地内でもと考えたいのですが裏付けする資料が見当たりません。
居留地資料なかなか出て来ないのですよ。

現在 チャプスイと広東風あんかけの関係に興味を持っています。
チャプスイと広東麺の意外な共通点を見つけてはいるのですが、肝心のところが無いでは意味を為さないので困っていました。
教えて頂いた書籍を先ずは読んで違うアプローチを探してみます。

これからも宜しくお願いします。m(__)m

2015-12-06 15:49 : いその爺 URL : 編集
スープ
鳥ガラの清湯ならわかりますが…
豚骨でスープを取るのは時代が下るのでは?

豚肉の料理が一般化しなければ、ガラの入手もきびしいかと…

2015-12-07 22:10 : 淡々斎 URL : 編集
Re: スープ
>淡々斎さん

居留地内では一般に敬遠されていた豚肉も早くからあつかわれていたようです。
1866年11月26日の”豚屋火事”は豚肉屋が出火元だと言われています。

しかし獅子文六さんの本に”とりソバ”って書いてあった記憶もあるので全て豚と言い切るのは疑問なんです。
2015-12-08 07:45 : いその爺 URL : 編集
居留地
 おはようございます。

 「社会百方面 乾坤一布衣 民友社 明30.5(1897)」「居留地●●(禁止ワードらしい)記 27年初夏(1894)」の章の横濱の南京町の「飲食店 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/798562/14?viewMode=」で「わんだん」「ちゃぶちい」「豚蕎麦」「豚饅頭」などについて書かれ、チャプスイと原ラーメンの豚蕎麦が明治中期の居留地横浜の南京町にすでにあり、豚肉豚脂が使われていたのは間違いないようです。
 ここでは残念ながら味付けが醤油味か塩味かという事の確証は有りません。
2015-12-09 02:07 : 摂津国人 URL : 編集
Re: 居留地
>摂津国人さん

ありがとうございます。

これは私にとっては非常に嬉しい資料になりそうです。
チャプスイ出ました!(笑  「ちゃぶちい」と濁音で書かれているのがまた面白く、チャブ屋の語源を探している方には魅力的な記述なのではないかと思われます。

記述に少しバイアスがかかっていないか?
なんて感じたのですが。。。明治27年夏 まさに日清戦争開始の時期に書かれた文章のようですね。
ここは気をつけておきたいと思います。

ほんとうにありがとうございました。今夜しっかりと読ませていただきます。
教えていただきた書籍の最初の一冊が本日アマゾンより到着、しばらく寝不足が続きそうな予感がします。
2015-12-09 20:47 : いその爺 URL : 編集
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プロフィール

いその爺

Author:いその爺
横浜在住
五十路で早くも爺さんになちゃった。
“食”“写真”“郷土”が好きです。

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