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『横浜今昔』 「古書に歌われた橋の名」 平野威馬雄氏

横浜の博物館や記念館では多くの絵葉書を売っています。
比較的安価で古き良き“ヨコハマ”を楽しめるんですよ。

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横浜は開港150周年を無事(?)に終えた。
はたして150年周年は“横浜を愛する”私たち市民にどのような自覚を与えてくれたのか?
そんな疑問を勝手に抱えながら、“横浜の川と橋”なんて難しいカテゴリーを揚げてしまった。
どうする? なんて少々考えていました。
そんな時に爺の背中を押してくれる、大きな文章を見つけました。

先日、御紹介いたしました「横浜今昔」の中に、その素晴らしい文章はありました。

今から50年以上前に、開港50周年を思い起こし“平野威馬雄”氏
横浜を思い、寄せた文章であります。
「古書に歌われた橋の名」と表題がされています、そのなかの一部を引用させて頂きます。


>かれこれ三十五、六年のむかし、医学博士の栗原清一さんがまだ元気で、
横浜市の文献を集めていたころ、ぼくは大学を出たてで一緒に横浜かいわいを歩き回ったものだ。
大正十四、五年だったと思う。栗原さんがしきりと
「ああ、どんなに横浜自慢をしたくても、お江戸とちがって、橋の名一つにも、
由緒ある伝統がのこっているわけでもなし、新開発地ってものはさびしい」といっていたのを覚えている。
 開港五十年のにぎやかな大名行列や関内関外芸者の手古舞いや、
底抜け屋台でごったがえした華麗な祭典にしたところで、
横浜村の歴史の貧しさを語る以外の何ものでもないーと、栗原さんはつぶやいていた。
ぼくは、ハマッ子のひとりとして、この医学博士のやるせないなげきに強いレジスタンスを感じたものだった。
ところが、うちの本箱から手ずれて虫食いだらけの和とじ本が一冊でてきたのである。
 それは、菱潭《りょうたん》という人の書いた「横浜往来」(注1)で読んでみると、
栗原さんのなげきの種を吹き飛ばすような「橋の名」歌い込みの韻文で、わが横浜を情緒ゆたかに歌ったものだった。
栗原さんに見せると「こいつはいい。 いいものがみつかった」と喜んでくれた。
そして、もうそれからは、ヨコハマを橋の名において「劣等視」するのをやめてしまったのである。
いま、手もとにノートの切れはしだが、そのサワリのところだけ筆記したのが残っているので、
ぼくに課せられたヨコハマ今昔物語にかかげておく。

 あら玉の年の日脚も進みゆく、黒がね道を蒸気車の乗合人の案内にて、手間とる暇も波しげき、
ゆき通う袖のうら風や、やがて品川、川崎とどろく音に打ちすぎつ、鶴見の橋の眺めさえ、
へだつ野も世や山みちを、遠近分かで神奈川の軒端を後に入舟と、
ともに轍のめぐりよく国の誉れの殊にまた、高島町は横浜の望む入口の駅路(うまやじ)を、
下りて渡るも大江橋、四季の眺めを都橋、静けき春の錦橋、枝折結ばん桜ばし、
たててつばくろ柳橋、慕うて風のうしろ髪見かえるひまに入江橋、
しばし休ろう本町の、のきばを伝う電信機、文の郵便新聞社、八辻のちまた、たてよこにぎわう南仲通り、
利益を仰ぐ弁天は、創めの古跡太田町、千種百品店々に、日々をたのしくともかせぎ、
気も相生に高砂や、屋なみもしげしく住吉と常磐の松の尾上町、浦に布敷く真砂町、
海原近く港町、浮きつ流れて大岡を、落合う水も吉田橋、
賤が苫屋に天津女がかりに宿れる羽衣や・・・・

 という朗々たる調子で戸部、石川、野毛というふうにいたるところの橋を歌っている。
さて現実にかえって半ば植民地化してしまった「ヨコハマ」の姿にぶつかると、
ああムカシはよかった、と目がしらが熱くなる。
どんなによかったか。これから静かに思い出していきましょう。



なんて素敵なヨコハマなんでしょか・・・言葉もありません。


現代の横浜の写真を・・・などと野暮は申しますまい・・
時代は変わり 街の風景も大きく変わったと思うのですが、“橋”の名も“川”の名も変わりません。
そして、街を愛する私たちの心にもなんの変化もないのです。

美しい故郷を、誇れる古里を“ヨコハマ”に見出すのは
“今昔”変わることない気持ちと教えて頂く思いでありました。



出来る事でありましたら、“平野威馬雄”氏の強烈にして優しい人生にも触れて頂きたい。


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2011-02-07 : 未分類 : コメント : 4 : トラックバック : 0 :
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なんて素敵なヨコハマなんでしょか・・・言葉もありません

ヨコハマに立ち寄ったこともない私なのに
爺さまのふるさとへの愛情にシンクロして
ちょっとウルッときてしまいました

新開発地の雰囲気、
時代と共に変わっていく様子
それもまた、大きな魅力ではないでしょうか
ヨコハマを知らないので、今、私は門司港を目に浮かべて書いています

爺さまの愛するヨコハマ、一度訪問してみたいです

2011-02-09 13:00 : Lily姫 URL : 編集
Re: タイトルなし
>Lily姫さん

全部読んでくれたんだ! ありがとう!(笑
実はこの辺りや、ナポネタ、古いレシピは自己満足的な要素が多くてさ~v-402

横浜は関東大震災と空襲で二度全滅しています。
古き良きものが あまり残っていません。

先日 郷土歴史家の方と少し話をしたのですが、
「横浜の歴史的な物証は、他の地域で探します。横浜は焼けてしまったから残っていません。」
と仰いました。
残念なのですが事実かな・・・

でも絵葉書を見ながら、記事の韻文を読んでいると思い浮かぶ景色があります。
それは、とても素敵な町並みなんですよ~v-398

門司港は歴史的な所ですよね、素晴らしい景色が浮かんでくるでしょ?(笑

2011-02-09 19:08 : いその爺 URL : 編集
 隨分以前に根岸外人墓地関係の事を調べていた際“平野威馬雄”氏の件をも一寸知るに至りました。
 横浜は色々な地域から集まってきた人々の子孫で構成されている面があると思うので「建物」「橋」「地名」等から心に浮ぶ思い出の共有こそが「浜っ子」なのではないかと考えております。
なので最後の復興小学校「三吉小学校」や空襲を耐えた「松坂屋」を更地にしてしまったのはとても殘念でなりません・・・悪い冗談ですが、松坂屋裏の駐車場も更地になっているので「あの場所はまた飛行場になるんだよ」と言いたくもなります。
 地名が残っていれば「みつびしどっく踏切」を渡るたびに吉川英治の「カンカン虫は唄う」の世界に思いを寄せ、「埋地地区自治会」の掲示板から干拓の苦労を偲ぶのですよね。
2011-02-09 23:49 : はってばって URL : 編集
>はってばってさん

野澤屋エレベーターの停止階を示すメーター(?)は何処に行ったのだろう?
壊して捨てたのかな?
なんてボンヤリ考えていたんですよ。

埋められた川は忘れられて車が走っているか、何処が市民の為なのか解らない公園になってしまいました。

橋の名前はだいぶ消えてきています。
桜川なんて素敵な名前の川があった事を知ってるいるのは無駄な知識でしょうか?
そんなことはない筈だと思いたいですね。

カンカン虫や煙突掃除屋さんの、尋常でない黒さを知ってるいる人は少なくなりましたがまだ通じる人がいます。
これから 少しづつ話していきませんか?(笑
2011-02-10 15:55 : いその爺 URL : 編集
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プロフィール

いその爺

Author:いその爺
横浜在住
五十路で早くも爺さんになちゃった。
“食”“写真”“郷土”が好きです。

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