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ナポリタンは何故赤いの? 赤と白のスパゲティー

そろそろ以前に載せました、「ナポリタンストーリー」を書き換えなくてはならない事になってまいりました。

今回の物語の主人公は二人。
“ナポリタン”と“イタリアン”という名前を持つ二人の物語となりそうな予感がします。
彼等はそっくりな容姿を持ち、時代の切れ目から登場しては、作者である私を悩ませます。

“ナポリタンとイタリアン”が活躍するストーリーは、独り二役をこなす、怪人二十面相が主役ととなる推理ドラマなのか?
はたまた一卵性双生児として産まれた、兄弟が織りなすホームドラマになるのか?
そして他人の空似が発端となる、歴史小説となっていくのか・・・・・


さて今日は、先日載せました“dancyu 1996年3月号 60-61頁  「口を真っ赤にして食べた『ナポリタン』をめぐる大冒険」 文・大石勝太”
(送って頂いた資料として文末に掲載させていただきます。)
の中に、「東洋亭」の“ホワイトナポリタン”なるメニューの存在が書かれてた事について少々。

じつは、メニューとして載せられていた事には驚いたのですが、“白いナポリタン”の存在そのものは想像の範疇にありました。
それは、未だ拙ブログに載せていないのですが、“海軍式ナポリタン”のレシピには、赤と白が存在している事を確認していたからなのです。
そして“イタリアン”にも赤と白のレシピが残っているのです。


どの様に考えるのが一番よいのかしら?と、悩んだ時は実験してみようかね!
てっ事で“海鮮ナポリタン”を作ってみました。

先ずは海鮮はケチっり、そして作為的に浅蜊だけで作ったよ! 海老は派手だから割愛ね!(笑





さてと出来ました御料理は。。。。誰?! 「ボンゴレ・ロッソぢゃねえか!」 った人は!(笑

この料理は間違いなく”ナポリタン”なのですよ。
何故なら“現代風アレンジをした自家製のケチャップ”を使用して作ったからなんです。
婦人誌のレシピにしたがい、トマトソースにリンゴを摺りおろし入れてみました。
酸味が消え優しい甘みを感じて、なかなか美味しいかったよ。

ナポリって街は海産物の美味しい処だそうですが、スパゲティに入れる具を考えると・・・
その代表となりうるのは、浅蜊そう“ボンゴレ”なんだよね。

浅蜊のスパゲティーであるボンゴレにはロッソとビアンコ、赤と白が存在していても不思議はありますまい。

「かくしてこのパスタ料理は、かつてナポリでトマトソースのスパゲティーが屋台で人気だったことにちなみ、「スパゲティナポリタン」と英語で命名され・・」
なんて言葉にトマト=ナポリって潜入観念に、私しゃ囚われていたんだなぁ~  と今更ながら実感しちゃったわ。(苦笑

一人目の主人公“ナポリタン”のキャラクターを探してみれば、イタリアの港街ナポリからはるばる日本の東洋軒に旅してきて、三越特別食堂にまで馳せ参じてくれた律儀な奴って感じでしょうか?

もう一人の主人公となる“イタリアン”は・・・・・
もしかしたら彼を 私は“ナポリタン”と勘違いして探していたのかも?

そう・・・・彼等は別人、そんな事実は小説より奇なりという歴史ものがやっぱり良いなぁ~
と言いながら、この先のストーリーはどうしようか・・・大汗






> たとえば、かつての「東洋軒」を知る自由が丘「キッチン・カントリー」の斎藤義正さんによると、「ナポリは海の町だからナポリタンに海老など海のものをたっぷり入れ、ミラネーゼには肉など里のものを入れる。ただ、どちらにもトマトソースがたっぷり入ったミートソースを使った」という。この店のナポリタンは、今でも海老入りミートソース和えだ。
 また、昭和初期の頃はまだトマトの味になじめない人も多かったらしい。「創業時からトマトペーストでナポリタンを作っていたが、トマトの酸味が苦手な人向けにトマト抜きの『ホワイト・ナポリタン』も用意していた。と昭和6年創業の赤坂「からす亭」ご主人の中島清隆さん。今でもホワイト・ナポリタンを注文する年配の客もいるとか。このような白いスパゲティを「イタリアン」と呼ぶ店も多かったようだ。

dancyu 1996年3月号 60-61頁  「口を真っ赤にして食べた『ナポリタン』をめぐる大冒険」 文・大石勝太<


2013-07-05 : ナポリタンの“謎”を追え : コメント : 10 :

伊勢佐木町「グリル桃山」と「東洋軒」の海鮮ナポリタン。

最近 何故か“海鮮ナポリタン”の事が気になってしかたがなかった。

海鮮系のナポリタンと言えば箱根の富士屋ホテルが数年前に復刻してメニューに乗せている。
伝統的なソースを使用して、現代風のアレンジを加えてものなのか、判断がつかない。
とりあえず次回箱根に行った時は立ち寄るようにしようかと・・・

先日紹介した、『2013六月号横浜ウォーカー』には、伊勢佐木町の「グリル桃山」のナポリタンが紹介されていました。
創業1933年の初代の頃からナポリタンには海老を使用していた、と書かれている。

おいおい! 1933年は昭和8年だよ!
ロッパ先生が三越特別食堂でナポリタンを食べたと日記に書いたより一年前って事になるんだ。

それも海鮮の海老が主役だよ! ハムやベーコンぢゃ無いンだ!
その上に、記事中に長者町にあった、名店「イタリアンキッチン」は海鮮が使用されていたと思われる記述が添えられています。
ホントかよ!ってんで、手持ちの資料を精査したら・・・出て来た。

昭和42年発行『横浜味覚地図』の中に紹介されている「イタリアン・キッチン」
>スパゲッティでは、ナポリタンがよく出る。シバエビ、カキ、平貝などをたっぷり入れ、ケチャップの酸味を日本人の好みにあわせた・・・<


そんな訳で、今日はラッコを誘って、伊勢佐木町「グリル桃山」まで出かける予定に・・・


本当だ! 海老が入ってる・・・・

そんな私の行動を見透かすかの様に、桃山さんお出掛けの三時間前に、拙ブログに鍵コメで大きな資料が送られてきました。

> たとえば、かつての「東洋軒」を知る自由が丘「キッチン・カントリー」の斎藤義正さんによると、「ナポリは海の町だからナポリタンに海老など海のものをたっぷり入れ、ミラネーゼには肉など里のものを入れる。ただ、どちらにもトマトソースがたっぷり入ったミートソースを使った」という。この店のナポリタンは、今でも海老入りミートソース和えだ。
 また、昭和初期の頃はまだトマトの味になじめない人も多かったらしい。「創業時からトマトペーストでナポリタンを作っていたが、トマトの酸味が苦手な人向けにトマト抜きの『ホワイト・ナポリタン』も用意していた。と昭和6年創業の赤坂「からす亭」ご主人の中島清隆さん。今でもホワイト・ナポリタンを注文する年配の客もいるとか。このような白いスパゲティを「イタリアン」と呼ぶ店も多かったようだ。

dancyu 1996年3月号 60-61頁  「口を真っ赤にして食べた『ナポリタン』をめぐる大冒険」 文・大石勝太<
1996年には、大石勝太氏により此処まで解明されてたんだなぁ m(_ _)m

東洋軒による、初期のナポリタンはナポリにちなみ海鮮をたっぷり使用していたんだとは!
そのうえソースは、ミートソースだなんて・・・・・  驚きだ。
白いイタリアンは想定の中だったけれど、メニュー化されていたのは考えもしていなかったわ!
(だって、煉瓦亭のイタリアンは赤いし、ロッパが昭和9~12年まで食べたスパゲッティは赤い筈なんだ。
あっ! この根拠は後日・・・)

三越特別食堂のナポリタンも海鮮系ナポリタンだったのだろうか?
グリル桃山のナポリタンは、現存する最古の海鮮ナポリタンなのだろうか?
イタリアンは白いのか赤いのか!!!
フランスから来たのか?アメリカ経由なのか? 何に乗って来たんだ!
ああ~~  知りたい!!!(笑



ナポリタン、文献記述が少ないといわれた曇天模様だったけれど・・
なんだか突然天が割れて、ナポリタンの“歴史”が大降りになりそうな気配がして夢でうなされそうです。(笑

とりあえず本日は、資料として皆様にお伝えして終わりにいたします。

『横浜味覚地図』を貸して下された先輩、そして参考文献を送って下された“名も無き御方”
そして未だ掘り起こされていない記述を探してくれている良き協力者。詰まらぬ記事に付き合って下さる貴方!
多くの方に協力をして頂き“ナポリタンの謎”は大きく前に踏み出してきた気がします。

そして見えて来たのは、更に大きな謎なのですが・・・・どうする?(汗


追伸
イタリアン・キッチン、グリル桃山さん、諸々の記事は後日ゆっくり載せる予定です。

2013-06-23 : ナポリタンの“謎”を追え : コメント : 9 :

戦前の米国風料理とトマトケチャップ 煉瓦亭の事

自宅で作ったスパゲッティーを喰いながら、考えてみた。





君は、ボロネーゼなんだろうか? ミートソースなんだろうか?」
まぁ・・作った本人が何を作ろうかと思った事が、一番大事ってことにしておきましょうか。(笑
フランスの友人に頂いたチーズが美味しくて、これならチーズだけで素のスパを和えても良かったぜ!


今日は以前から引っ張っていた、戦前のアメリカ風料理&ケチャップの存在を示す文献紹介って事になりますが、
その前に・・・(笑 ほんとにツベコベツベコベ五月蠅い爺だよなぁ~

西洋料理ってのは、西洋より伝わり日本でアレンジされていない料理のことをひとまとめに総称することが多いって事と
洋食と言っちゃうと、広義では西洋料理を含むけれど、日本で独自に発展した西洋風の料理を指す事が多いのをご理解頂きたいと思います。
移民国家であるアメリカの料理は、フランスやらイギリスから伝わってきても、アメリカと言うフィルターを通って来ると、アメリカ風やら米国式って表現をされます。
まぁ・・元はイタリアでもフランス経由かアメリカ経由かって細かい所の問題に拘っている、小さい奴なんですが・・汗



先日載せました、ロッパ先生のお気に入り、戦前に在ったアメリカ式ランチ店を書き出してみます。
「不二アイス」 「アスター」 「オリムピック」 「星製薬のキャフェテリア」

後は前回に御紹介した此方の本から、抜粋をさせてもらいます。

IMG_9488.jpg

先ずは私も へぇ~と驚いてしまった、フレンチの殿堂と思っていた帝国ホテル。
>牡蛎の殻焼
東京日比谷 帝国ホテル

アメリカ風の牡蛎料理ですが、その風味のよいことは殆ど萬人向きといつてよい程、誰方にも賞味されます。
 材料  牡蛎・・・トマトケチャップ・・ 



やっぱり チャプスイはアメリカ料理って考えてよいかしら?

>チヤプスイ・ライス
『東京丸の内 キャッスル』
支那風のアメリカ料理を日本人の嗜好に適するやうに工夫した当店独特の自慢料理で・・・・


後はケチャップが、昭和初期に実際に店舗で使用されたかって事の疑問の答えとして載せときます。

>鶏の肝臓ライス
『不二家』
材料 ・・トマト大一個、メリケン粉、バタ、トマトケチャップ・・・


>オムレツ・ライス
東京日本橋 高島屋食堂
材料・・・トマトケチャップ


大阪では、
>若鶏の焙焼
大阪心斎橋筋 大丸食堂
材料 ・・・トマトケチャップ・・

そしてトンカツ屋でも!
>トンカツ
東京丸の内 ども天
材料 ・・・ウースターソース、トマトケチャップ、西洋辛子。


最後に・・
>生牡蠣料理
大阪朝日ビル アラスカ

備考  尚西洋料理の食卓には、各々別の器にトマト・ケチャップと、ソースとがありますから、お好みによつて自由に調理して食べます。


西洋料理店では、卓上調味料としてソースとケチャップが置いてあるのは、昭和9年付近では不思議な光景ではなかったようです。


当時の人々は、アメリカうまれのトマトケチャップに 西洋文化の香りを感じていたのではないでしょうか?

そして少々気に留めておきたいのは、トマトケチャップって何者かって事なのです。
メーカーから市販された物だけをケチャップって言うのかしら?(笑

トマトケチャップレシピが 婦人誌にまで掲載されていた事を思い出して頂ければ幸いです。
高いモノは自作せよの精神?(笑

ここで砂糖と言う調味料が存在している事を記憶に留めていて貰えると。。。。
結局は。。。<u>此処に繋がるかしら?(笑>

銀座の煉瓦亭のイタリアン、たしかにピューレから作られていると思われますが、砂糖(甘味)を加えてあるんだよね。
(トマトケチャップもピューレから作るんでしょ?)
もしかしたら、これもケチャップ(初期)なのかもしれないなぁなんて一人想像を楽しんでいます。



2013-06-22 : ナポリタンの“謎”を追え : コメント : 9 :

米国式料理は何時から?

先日 伊勢佐木町の洋食屋「レストランコトブキ」でミートソースを食べながら考えちゃったんだけど・・
「君も何処から来たんだ?」




ナポリタンやイタリアンの素性もよく分からないけれど、此奴もハッキリと解らない奴なんだよね。
容姿からしてボロネーズぢゃないんか? とかミートボールだろ? なんて言われてるけれど、諸説ありって事よね。(笑


『横浜山手』1977年発行によると、横浜開港と共に幕府は即座に、現在の横浜DeNAベイスターズの本拠地の横浜公園に遊郭を作ったそうな。
岩亀楼、五十鈴楼なんて名前の大店が四軒、小店が三軒、茶屋、芸者屋が立てられて、港崎町と名付けられた。
はじめは「みよざき」と呼ばれていたけれど、後に「こうざき」とよばれたそうな。
1869年(万延一)の一月神奈川奉行 水野忠徳の日記にはこの遊郭の事が書いてある。
「誘客を調べたところ、御国人日々四百人、異人七、八人より十人位なり」 (笑

因みに横浜在住の異人の総数は四十四人、うちオランダ人十人、英国人十八人、アメリカ人一人、フランス人一人だそうだ。

さて明治十年(1877年)になり。夏に箱根までの旅行免状の交付を願い出た異人さんの数は、二百二十五人もいたそうですが、その中身は英人八十一人、米人六十一人、ドイツ人二十六人といった順であったそうです。

因みに山手の外人墓地に眠る人びとの数を数えると、四千百のうち英国人が千九百、二位がアメリカ人が約八百人。
中国人を除けば、昭和三年から十三年までの間、居留英国人は六百人前後に達し、全体の三分の一を占めていたそうです。

ここで思うのは・・  アメリカ人ってけっこう多くないかい?
(昭和五年には、英国人、米国人。ドイツ人、ロシア人の順。)


西洋料理の源流は、海軍は英国に政府はフランスに求めたって事は理解しているんだけれど。
明治後期から主要な貿易国となり、最多の定期航路を開いたアメリカ合衆国との人的交流は、食文化の欠片も残してないとは、私的には考えられないんです。

ここを原点にして、米国風料理&ケチャップの記述を紹介しようなんて試みるのですが・・・
あれ?  今日も手が届かなかった。(笑

続く・・・m(_ _)m


2013-06-20 : ナポリタンの“謎”を追え : コメント : 10 :

昭和九年のイタリア料理事情。「銀座ボントン」

前回の続きって事になります。

ナポリタンの事が知りたくて、いろいろな文献にあたってみると、必ず書かれていることが・・・
“イタリア料理&米国風料理は戦後になって、日本洋食に影響を及ぼした。”
なんて文章なんですよ。

“我が国でのイタリア料理の発祥はイタリア軒であるが、イタリア料理が認知されるのは戦後の事である。”
“アメリカ料理が、我が国の洋食に影響を及ぼすのは、戦後である。”
なんて軽く流されてしまっています。
なんか違う様な気がして・・・
フランスや英国と比べれば、歴然としてしまう少数記述なのですが、戦前にその芽があったと思える記述を、少し載せておきたいと思います。


先ずは戦前のイタリア料理に関係されると思われるものを御紹介。


『家庭で出来る 東京大阪 評判料理の作り方』昭和九年一月一日発行

この本は当時 評判となった外食店の料理を店側のコメントと共にレシピを載せている本です。
例えば・・

>シシリアニー (これは料理の名前です。)
東京銀座 ボントン
とう店は、粋なフランス料理とイタリー料理とを売物としてゐる瀟洒なレストランです・・・
材料 ・・・ <
と続いていきます。
因みに古川ロッパは昭和九年八月十二日に此の店のグリルを訪れている事を日記に残しています。

「アジア雑語林」によればロッパ先生がお気に入り昭和3年に大阪で開店した「アラスカ」では
>1930年に社長がイタリアに行き、イタリア人コックを日本に連れてきている。そのせいだろうが、メニューに「スパゲティ・ポロネーズ」や「スパゲティ・バジリコ」といった料理が登場している。<
と紹介されています。
(文献提示が無いのですが、アジア雑語林さんは信頼できるソースなのでそのまま載せさせて頂きます。お子様ランチネタなんて必見だと思います。)

ボロネーズと言えば、ロッパ先生は昭和十一年五月二十三日に、東京のニューグランドでも召し上がっています。
日記を小まめに探すとミネストローネ、ニョッキ、ラビオリの記述もあったかなぁ~(笑

探せばもう少し見つかりそうな勢いなのですが、本日はこの辺りにしておきます。
少なくとも戦前の東京と大阪には、イタリアンの芽が出ていたなんて感じて頂ければ幸いです。
(横浜の資料が無いのが非常に悔しい!)

この本に出てくる、店の紹介文とレシピは 時間がある時に少しずつ載せていこうと思います。
もはや著作権の問題も無いと思われますし、なにより本自体が風化してしまいそうです。
先人の残した足跡を留めておき、店の名前が記録に残れば後の洋食史になにかしら役に立つかもしれません。

次回はアメリカ風とケチャップを載せる予定です。
(チョイと寄り道しちゃいました。)



2013-06-19 : ナポリタンの“謎”を追え : コメント : 8 :
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プロフィール

いその爺

Author:いその爺
横浜在住
五十路で早くも爺さんになちゃった。
“食”“写真”“郷土”が好きです。

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