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チャプスイのおさらい&昭和8年のお姿。

先ずはチャプスイをおさらい。(笑

チャプスイは、米国でアレンジされた中華料理、米国式中華料理の先鞭と言われています。
ハムや肉類とタマネギ、モヤシ、白菜等の野菜を炒いためスープで煮て片栗粉でとろみをつけたもの。
八宝菜に似ていると言われる、そのまま食べたり麺やご飯にかけるのが一般的。

起源は私の大好きな諸説あり。

初期の中国系米国移民の出身地、山東省泰山で作られていた料理が原型とする説、19世紀に大陸横断鉄道工事に携わった中国人労働者のコックが発明したとする説などがありますが、清朝末期の政治家李鴻章<りこうしょう>が、1896年に全権大使としてニューヨークを訪れた際に食されたとするエピソードと共に語られる"李鴻章説"を起源とされる事が多い。(エピソードは複数在るので追い追い載せましょう。)
此処を根拠として拙Blogないでは李鴻章が米国に滞在した1896年を起源として話しをさせていただきます。

あっ!あとWikiでは、広東省台山市名物の広東料理、炒雜碎(チャーウチャプスイ)がもとになった料理って書いてありますが、これはもしかしたら米国からの逆移入名物なのかもと少々疑問に感じています。
だって英語のチャプスイ(chop suey)の中国表記が”雜碎”なのだから米国で生まれた後に広東に広まったって単純に思えるからです。
ここは未だ検証はしていません。(笑

李鴻章をきっかけとしてアメリカでブームを巻き起こしたであろうチャプスイは当時のロサンゼルスの日本人街にも大きな影響をもたらします。 此処は以前に少し書きましたが、「「PDF] 日系チャプスイレストランにおけるフォーチュンクッキーの受容」が詳しいので読んでみてください。

発祥説はアメリカにお任せして、私が探したいのは。。。
昭和32年発刊『横浜今昔』「チョンチキ屋と横浜拳」平野 威馬雄著のなかで、
威馬雄氏(平野レミさんのお父上。)が震災前 明治 大正の横浜の名物を回顧して、

>南京町のチャプスイはあまりに有名だから省くとして、ザキの芳の谷の御膳しるこにつけシソの味、・・・

この一節に書かれている”南京町のチャプスイはあまりに有名だから省くとして”と言われるくらい有名だった、チャプスイが何故に現代の横浜から姿を消してしまったのか?って事です。

これを私はチャプスイが中華丼、うま煮飯、カタヤキソバ、広東麺と名前を変えて現在に至ると考え、足跡を探してみようとしています。
かなり無謀ですが。。。まぁ本人は至って真面目なのですよ。

本日はそんな懐かしきチャプスイの姿をお見せいたしましょう。

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昭和8年発刊『婦人倶楽部』付録「家庭で出きる東京大阪 評判料理の作り方」から東京丸の内「キヤツスル」の”チヤツプスイ・ライス”です。
レシピは長くて打ち込みが面倒(既に酔ってる)なので後日頑張りまーす。 ヽ( ´_`)丿

読者の皆様に「あ〜なるほどね。」って言って頂くための難易度は。
中華丼 < カタヤキソバ < 広東麺 < サンマー麺 って感じだと思っています。
特に広東麺は嫌な記述が出てきて。。。。記述を黙殺したいくらい悩んでいます。
「見なかった事、知らなかった事にしよう!」  まぁ それは許されませんよね〜

2015-11-21 : 食本と昔レシピで味つけね : コメント : 8 : トラックバック : 0 :

チャプスイ。。。まだ探しているよ。

相変わらず休みがとれないうえに、ホームにお世話になってるお袋の医療問題なんぞがありバタバタしてました。

カメラを持って遠出を楽しむなんて時間の余裕もありゃしない。
こんな生活がまだまだ続くんだろうなぁ。。。。


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家で独り飯。 作るの面倒臭くて駅前の「日高屋」で冷凍餃子を買ってきて、焼き加減に最大の注意をはらってみた。
うん! まぁまぁ良い出来だと一人で悦にいって完食。

最近 中華料理が続いています。
読者の皆様は飽き飽きしているとは思うのですが、私自身は案外と飽きる事無く美味しく頂いているんですよ。
やっぱり俺って中華料理が好きなんだなぁ と再確認。(笑


休めない日々。そこで細切れな時間を有効に使える細やかな楽しみを新たに見付けようと思い立ちました。
以前より興味がありました食&風俗の歴史を横浜を中心にもう少し真剣に勉強してみようかと。。。
これは「ナポリタンの謎。。」で、読者の皆様は飽き飽きか?(笑

現在のテーマは、「何故にチャプスイは横浜から姿を消したのか?」です。
まだ。。。探してはいるんですよ。(汗

このテーマをベースにし世相等も掘り下げるとけっこう面白くて本人は嬉々として本を探し検証と称して、現在中華料理を食べ歩く楽しみを見出だしているわけです。
最近はネットで下調べができるし、国会図書館のデジタルサービスも充実してきたからね家でも楽しめたりします。
テーマが大きすぎてお手上げ状態なのですが調べる途中の枝葉がとても面白いのですよ。


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チャプスイは米国で生まれた中華料理、米国式中華の先鞭とされているのですが、
私はこのチャプスイが日々私達を楽しませてくれる、中華丼、五目旨煮飯、カタヤキソバ、広東麺、強いてはサンマー麺の原形だと思い至るようになってきてます。

つまり、カタヤキソバ、中華丼、広東麺、五目うま煮飯は米国料理だ!! って事です。

あ〜ぁ言っちゃった。(笑
あっ!そこの貴方!石を投げないで下さい! ε~(;@_@)

もちろんナポリタンもしつこく探していますよ。(苦笑
でもね、探す途中の寄り道を大事し、長いスタンスで楽しめたらいいと思うようになりました。

今は明治期に横浜居留地で食された”ラウメン 柳麺”って本当に塩味だったの?
なんて所でウロウロ、明日は”ラウメン”を作ってみたいと思っています。

2015-11-18 : 食本と昔レシピで味つけね : コメント : 20 : トラックバック : 0 :

中華丼の歴史を少しだけ語らしてくれ!(笑

チョイと調べ物をしています。
その検証資料として”中華丼”を載せておきたいのですが、困った事にネット上に適当なものが見つかりません。
Wikiが使えると便利なのですが、案の定と言いますか今回も検証不可能な記事で使い物になりそうにないんです。

今日現在では>東京の中華料理店で昭和のはじめのころ、中華街の調理人が賄い飯として作ったもの[1]。東京では、汁掛け飯など御飯におかずを載せて食べる事が流行していた。<なんて書いてあるのですが、資料の”1”を見るとWiki豆知識とやらで、まったく資料提示がないぢゃないですか。
まったく。。。。。。
(この辺りの事は私が書くより”柴田さん”が詳しく書かれておりますで興味がある方はどうぞリンク先へ、このページ面白いですよ。)

仕方ないから自分でセコセコと資料を積み上げていくかぁ 
なんて気軽に思っていたら、これがなんとも困った事になちゃいまして。。。。
少しだけ中華丼を語らせてくだされ。(笑


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私が知る限り中華丼が活字として現れるのは、古川ロッパ大先生が『昭和日記』昭和9年5月2日に”来々軒の雲呑と中華丼を食った。”と言ったのが初出なのです。
それならWikiが検証資料無しに主張する”中華街の料理人が賄い飯で作った”ってより、来来軒の料理人が作ったて事の方がすっきりすると思っていたのですよ。
因みに「来来軒」っていうのはロッパ先生が『ロッパの悲食記』のなか「浅草を食べる」で震災前の浅草で来来軒に通っていた事を書いているので、私的にはラーメン発祥に続いて「来来軒」が中華丼まで持っていちゃうのかよ〜 みたいな少し悔しい思いでいました。(笑

そもそも、醤油ラーメン元祖ならまだしもシウマイやらワンタンまでは欲張りすぎだろう!
その二つは横浜っ子としては簡単には手放すもんか!東京にはやらん!(笑

おっと少し熱くなちゃいました、これで終わるわけぢゃありません。
じつはここからが面白いんですわ。

昭和3年のレシピに”中華丼”を発見しました!
しかし、これがどう見ても現在の”中華丼”とは思えないんですよ。焼飯の元祖?って感じかしら?
まぁ 参考資料なのであまり突き詰めなくてもよいよね。。。。。。。

とりあえず載せておきましょう。

昭和三年発刊『一年中朝昼晩のお惣菜と支那、西洋料理の拵え方:美味しく出来る家庭向き』

>五一  中華丼(にくいろいろごはん)五人前

材料 飯 五人前 豚肉 三十匁 タケノコ一本 長葱 二本 蟹肉 二十匁 青豆、醤油、ラード

拵え方  先づ豚肉は細かく切り、筍も賽の目に切り長葱は五分切りとし、青豆と共に鐡鍋、(フライパンでは飯をいれる故小し)にラードを煮溶かしたる中に入れ充分油炒めとします。
 而して後醤油少々を加へ味をつけ、飯を入れてスパテルにて手早くよく油炒りに炒りつけ、最後に蟹肉を細かく解きたるを入れて掻廻し、丼に盛り箸をつけて供します。<


あはは。。。。これ困ったレシピが出てきちゃったよね〜   
となりに炒飯が載ってるし知らないわけぢゃないでしょ? 丼に入れて箸で食え!ってところがミソなのか?
こりゃ中華丼研究者がいたら泣きそうな文献だよなぁ(笑

って事で本日は結論なし! とりあえず忘れてしまいましょう!






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2015-11-10 : 食本と昔レシピで味つけね : コメント : 12 : トラックバック : 0 :

昭和50年『ラーメンの本』中華街「安記」

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”中華街の横丁にある目立たない小さな店だが、いつ行っても客であふれている。
ラーメンの味のよさはいうまでもないが、スープのなんともいえぬうまさは特筆に価する。”
著者 大門八郎

粥の名店で知られる「安記」を紹介する記事からの引用です。
そうそう、私も夕方に安記に行ったら料理を食べると幸せになれると思う。だって料理が旨旨なんだから。

そもそも粥って奴は朝食べるものだと思ってきた。朝まで呑んでしまった時の〆だったり、二日酔いから逃げ出す時のエネルギー源なんだよな。(笑
思い起こしてみると、20年近く朝までの呑んだくれる事もなく過ごしてしまっているので、早朝に食せるトビッキリ美味い粥にお目にかかっていない。

空が白々としてくる頃に、開店前の仕込みをしているお婆さんに懇願し開店前の店に押しかけて熱々の粥を啜っていた時代がありました。
もちろん大きな鍋で揚げている油炸鬼を熱々のまま貰った、美味かったなぁ
味をしめて何度も行ったけど何時もお婆さんに怒られたね。
それでも店に入れてくれて、また怒られた。(苦笑
なに言ってるかよく解らなかったけれど・・・・優しかったな。

最近は歳をとったせいか早起きになちゃいました。
美味しいモーニングはないかとなんて考えていたけれど、想いおこしてみたら横浜には最高のモーニングがあるんだよね。
”みなとみらい”の”世界一の朝食”なんてめじゃないな。 朝飯食いに中華街まで行こう。


そうそう! ”カウチャカイ”とか”カウザァッカイ”なんて昔に呼んでた”油炸鬼(粤拼: yau4 ja3, ヤウザーグァイ)”は台湾語なのかしら?
油条(北京語: ヨウティヤオ、広東語: ヤウティウ)って知らなかったわ。(汗


あっ! 当日は夕飯だったので。。。。

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揚州麺食べた。





ところで。。。。。。。昭和50年ごろに安記に”ラーメン”ってあったのかしら?
>ラーメン  200円
>カユ11種各300円くらい
って『ラーメンの本』に書いてあったのが悩ましいな。(笑

2015-11-08 : 食本と昔レシピで味つけね : コメント : 10 : トラックバック : 0 :

「湯麺」タンメンっては何者なのか?昭和14年のレシピ。

酒を呑んだ後についつい、〆だ!〆だ!言いながらタンメンを喰ってしまう。
その日の気分や腹具合で、今日は”飯もの”が佳いやら”炒麺”が佳いやらと浮気をするが、
最後に帰り着く処はやはりタンメンなのだろうと。。。。思っていたがよくよく考えてみると、最近あまり食べていないかも? けっこうお腹がいっぱいにまちゃうんだよね。
それってやっぱ加齢かな?(汗


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しかし、この可愛いタンメンが少々素性が解らない奴でして、出身地はおろか”タンメン”って名前自体が源氏名なのか本名なのかってことさえよく知らないんだわ。
あまり素性を詮索すると嫌われてしまうかもしれないな?と思いながら今日も古い本をあさり、ついつい尾行をしてしまいました。ストーカーってわけぢゃないぞ!


そもそも”湯麺”と書いて”タンメン”って読むんだけれど、”湯麺”ってのは中国では単純に日本の”かけ蕎麦”なんかと同じように汁、つゆ、スープに浸かった麺の総称って事だそうだ。
中華料理屋に行って、”菜単(メニュー)”を覗いてみると。たしかに”湯麺(スープ麺)の部”と書かれた後に広東麺、海老そば等品名が並んでいるのをみると至極納得。
もっとも中華街では”タンメン”を提供している店は極々少数なので”タンメン”の文字を”菜単”の中より町の中華屋さんの壁メニューで見つけることの方が断然多いよね。

出生を探せば”諸説あり”という曖昧な存在でして、”横浜か東京辺”りで”戦後”もしくは”戦前”に生まれたのではないかとされています。ここの曖昧なところが私的には非常に「萌えぇ〜」としてしまうところでして。
抜群なプロポーションなんだ!としか言いようがありません。(笑


尾行の結果。
戦前昭和14年の婦人誌に”湯麺<タンミェン>なるレシピを発見出来ました。
>スープは鹽で大體のの味をつけ、醤油を少々落とし。。。。
>有合のお好きな野菜を適宜にお入れください。。。。
>湯麺の材料は大抵短冊に切ります。
などと書かれていますので、具を炒めてはないにしても名前といい特徴といい”タンメン”と言って差し支えなさそうです。
戦後生まれのピチピチとは言えませんが、戦前生まれの熟女なんだなと思えます。

本日の尾行は此処でまかれてしまいました。(笑


ところで、”ちゃんぽん”なんですが、福建料理の『湯肉絲麺(とんにいしいめん)』がルーツなんだと言われているのですが、私はタンメンも同じところに根っ子が在るんぢゃないかという感じをうけているのですが。。。。
そこに全く根拠はありません。(笑

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湯 麺<タンミェン>(スープそば)

▲材料=そば、スープ、芝海老。
 茹でたてのそばをすぐスープをかけて頂くものですから、スープを添える材料はその前に用意します。


 海老は鹽茹にして皮を剥き、スープは鹽で大體のの味をつけ、醤油を少々落としてお加減を整えておき、なほこの他にも葱やもやし、青味など、有合のお好きな野菜を適宜にお入れください。

 そばの茹湯をたっぷり沸かす間に、器や材料を手落ちなく用意して側におき、スープは味をつけて冷めないやうにしておきます。そして、煮立つてきましたら、充分に火を通るように少し時間をかけて茹で、さつと引上げてよく水気をきり、器にあけます。
 そこへ、用意の熱いスープをたつぷり注ぎ、箸でそばをきれいに浮かして、芝海老を飾り、すぐに召し上がつていただきます。
 お薬味は、やはり晒し葱、溶き芥子、七色蕃枯?など日本風に添えあせう。
 芝海老では高価ですから、焼豚肉、ハム、鶏肉、干海老、干貝柱など何でも有合わのものをお使いください。わざわざ買わなくても、ほんの少しで間に合うのですから、当日の残り物を上手に利用なさいませ。
 湯麺の材料は大抵短冊に切ります。

魚範、牡蠣 005

昭和14年8月25日発行 主婦之友 花嫁講座 第2巻 洋食と支那料理


 
 
2015-11-05 : 食本と昔レシピで味つけね : コメント : 22 : トラックバック : 0 :
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プロフィール

いその爺

Author:いその爺
横浜在住
五十路で早くも爺さんになちゃった。
“食”“写真”“郷土”が好きです。

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