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チャプスイの歴史スタートに疑問あり。”ちやぶちい”はチャプスイだろうな?

李鴻章にまつわるチャプスイ誕生についてのエピソードをご紹介します、なんて以前に言っちゃましたね。
その前にとりあえず載せておかなくちゃならないモノがでました。

先ずは李鴻章について簡単に知るのにWikiさんのお力をお借りしましょう
長いし難しいよね。実は私も詳しく勉強はしていないのよ。(笑

とりあえず押さえておきたいのは、
清朝末期の政治家李鴻章<りこうしょう>が、1896年に大使としてニューヨークを訪れた際に食されたとするエピソードと共に語られる"李鴻章説"を起源とされる事が多いのでとりあえず「チャプスイの歴史スタート1896年」とされる事。
1896年(明治29年)にニューヨークに訪れた李鴻章の連れてきたコックが晩餐会にチャプスイを出したなどとされる複数のエピソードが語られているのですが、これ。。。1896年スタートをチョッチ吟味しないといけなくなりました。

先日 摂津国人さんからラーメンからみの情報として教えて頂いた書籍。
社会百方面 乾坤一布衣 民友社 明30.5(1897)」「居留地●●(禁止ワードらしい)記 27年初夏(1894)」の章の横濱の南京町の「飲食店」 
の中に、なんと”ちやぶちい”って記載があるのです。
これスタートより2年早いんだ。 まさにビックリ!?なフライングだよ!(笑

そうそう!この『社会百方面』なのですが、明治27年初夏に書かれている事に注目しておいてください。
この時期はまさに日清戦争が始まる時なのです。
少ない書籍しか読んでおりませんが日清戦争前までは”支那”に親しみと尊敬を持っていた記述が多かったと感じていたのですが、この辺りから”支那”は蔑称化されていくように思えます。差別っていまわしい時代の始まりなのかもしれません。
ここは大事にそして慎重にあつかって頂きたいところなのです。

本日は”ちやぶちい”って新しい記載を資料として載せておしまい。(笑

最後に長谷川伸さんの『ある市井の徒 新コ半代記』から
>そのころの人は南京町に親しみをもっていて、白人諸君のいる街を歩くときと違い、居留地以外を歩いているのとおなじように、安心感みたいのがあったものです。

なんて引用して終わりたいとおもいます。

2015-12-14 : 食本と昔レシピで味つけね : コメント : 11 : トラックバック : 0 :
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Author:いその爺
横浜在住。

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